ぷーちゃんは推定10歳のキジトラの女の子で、うちで飼い始めて9年ほどでした。2月に乳がんの手術をしてこの6月、変な咳をするので診てもらったら、癌性の胸水が溜まっていました。胸水を抜いていったん少し元気になりましたが、次第に食欲が無くなり、7月15日に2度目の胸水を抜いたあとは強制給餌もほとんど受け付けてくれませんでした。そのあたりから状態が急激に悪くなり、昨日できたことが今日できなくなっていきました。それでも、大好きな2階の窓から時々外を眺めている姿を見ることができました。今思えば最後の穏やかな時間だったのかもしれません。

亡くなる前日は午後から酸素室から出られなくなりました。呼吸がどんどん苦しくなっていき、夜には口を開けて肩であえぐような、とても辛そうな状態でした。2時間おきに起きて様子を見ていましたが、朝6時頃、まだ息がありました。私は酸素室の傍らに肘枕で横になり、ぷーちゃんを見守ることにしました。しばらくするとぷーちゃんが急に立ち上がり、足をもつれさせながら数歩こちらに近づいて来ようとしました。でも横倒しにこけて、もう立てなくて、足を伸ばして頭を大きくのけぞらせて、小さく何度か痙攣して、気付くと辛そうだった呼吸が止まっていました。

抜け殻になった体はとても柔らかくて首がぐらぐらで、でも生きてるように暖かくて、それがものすごく悲しかったです。最後は私を見つけて駆けてきてくれたのか、私の前にあった水を飲みたかったのかわかりませんが、最後に見た景色の中に私が映っていたのなら嬉しいです。飼い主として生き物の命を預かった者として、最期を看取ることができて役目を果たせたのは救いです。でも本当に悲しい。

亡くなった翌日、火葬して骨を拾って帰ってきました。49日が過ぎたら納骨します。9年間、触りまくって本当によく遊んだしお世話もしたし、心残りはありません。毎日同じベッドで、夏は私の足元、冬は布団で腕枕して一緒に寝てました。でもなんでぷーちゃんが最後にあんなに苦しい思いをしないといけなかったのか、今でも考えています。楽しい幸せな9年間を過ごしたのだから、その分の帳尻を最後に合わさないといけないのでしょうか。20年近く生きて最後は眠るように亡くなる猫もいるというのに。

楽しい9年間でした。ありがとう。

標準より少し小さめでしたが、尻尾が長くて小顔のきれいな猫でした