農業土木学会誌 第71巻 第3号,pp.15〜18 平成15年 (2003)


歴史的農業水利事業を発端とする祭りの現状と参加者意識

緒方英彦*

* 鳥取大学農学部

T.はじめに

 21世紀の農政の指針として1999年7月に制定された食料・農業・農村基本法では,対象を農家から国民全体へと拡大し,生産者と消費者,農村と都市の共生を目指すと共に,基本理念として農村の振興と多面的機能の発揮を掲げている。すなわち,農業・農村に埋もれていた機能を発掘し,あるいは一部しか見えていなかった機能の全体像を明らかにして,農業・農村が21世紀に貢献できる機能を最大限に発揮させることを目指したものである。
 農業・農村が21世紀に貢献できる機能としては,水・土・緑に代表される自然を五感で体験できる場の提供というものがある。これは,農業・農村が,季節や農産物生産のリズムに沿った自然的事実を根底に有しており,水・土・緑を長い年月の間培ってきたからこそ国民に提供できる機能である。
 また,農村ごとに異なる風土に根ざした歴史・伝統・文化というものも画一的な都市には少ないものであり,特に季節ごとに趣を変えて行われる伝統行事としての農村の祭りは,国民に対して季節のリズムを提供する機能を有している。この農村の祭りの季節性は,農産物生産のリズムを背景としているからであり,春は耕作始めの儀礼祭,夏は種下ろし祭,田植え祭,水神祭(雨乞い祭),秋は収穫祭,初刈り祭,刈り上げ祭,冬は歴史的に長続きしているものは少ないが翌年の豊作祈願祭などがある。
 農村には,農業に関わる歴史的事件などを発端とする祭りも多く存在する。「郷土を救った人びと」1)という書籍には,郷土を救った義人を祀る日本全国の神社120社が掲載されており,この中で農業水利事業の功績により義人と呼ばれるようになった人は,全体の約38%(45件/120件)を占めている。そして,地域の人々は,地域農業に多大なる貢献をした農業水利事業の義人に対して感謝の意を表すべく,祭りという行事を行い,その祭りは地域の伝統行事として受け継がれている2)。この歴史的事件を発端とする祭りは,地域住民が祭りの発端となった歴史的事件を通して,地域の風土に関心を抱き,地域の歴史を振り返るための機能を有しているといえる。
 農村の祭りは,地域特有の行事として閉じた形で催されることが多く,都市部で行われる祭りのように商業化されたものは少ないことから,運営経費は地域住民からの寄付金を主体としていることが多い。また,都市近郊農村における近年の傾向としては,増加し続ける新規住民の協力を得ることが難しく,祭りの運営自体が厳しいものになっている。このような状況にある農村の祭りが,生産者と消費者,農村と都市との交流の場としての機能を発揮し,そして地域住民が地域の風土に関心を抱き,その歴史を振り返るための場としての機能を発揮するためには,祭りが有するこれらの機能が当事者である地域住民だけでなく一般に認知され,機能を発揮できる環境が整備されなければならない。特に当事者である地域住民の祭りに対する意向を調査しておくことは,伝統行事としての祭りの継続を図るためにも必要なことである。
 本報では,歴史的農業水利事業を発端とする祭りの一つである鳥取県八頭郡郡家町郡家地区の安藤祭りの現状を調査し,あわせて参加者意識の調査を行うことで,祭りの象徴となる人物の偉業が現在の地域住民にどのような受けとめられ方をしているのかを知り,また農村の祭りが有する機能が十分に発揮されるための要因を検討したので報告する。

U.安藤祭りの概要

 安藤祭りの発端は,郡家地区の豪農であった安藤伊右衛門が中心となり,1820(文政3)年に施工が開始された農業水利事業である。井手の工事の中で最も難航したのが通り谷穴井手(穴井手とは現在の水路トンネルのことである)の掘削作業であり,この完成を祈願するために京都伏見の弁財天を勧進して弁財天神社が建立された。通り谷穴井手の完成の後,1823(文政6)年に井手の全線完成となり,安藤伊右衛門の功績をもって,井手は安藤井手と呼ばれるようになった。安藤伊右衛門は没後,安藤井手の農業水利事業の功績により,郡家地区の義人として弁財天とともに弁財天神社に合祀され,その後弁財天神社の祭りは安藤祭りと呼称されるようになった。 現在,安藤祭りが開催されるのは,9月の第4土曜日であり,屋台(御輿)が出るのは隔年である。屋台が出ない年は,郡家地区を構成する東区,西区,中区,北区,南区の区長や副区長などが参加する弁財天神社での神事だけが行われる。この神事は,祭りの日の早朝に行われ,形式だけの奉納相撲も行われる。
 安藤祭りには,主催・共催というものはなく,郡家地区が祭りを運営しており,祭りの運営費用は,住民から集金される花を財源としている。花とは,寄付金を入れた封筒のことであり,封筒の表に花と書くことからそう呼ばれている。
 祭りの内容としては,中区と北区の合同,東区,西区が出す3つの屋台が各区の中心から出発して安藤伊右衛門の墓を含んだ順路を回り,途中区ごとに考案された踊り4〜7個が踊られる。新興住宅地である南区は,子供会が祭りに参加するものの,南区として屋台の引き回しや踊りに参加することはない。

V.アンケート調査の概要

 郡家地区の住民を対象にした安藤祭りに関するアンケート調査は,平成13年9月に行った。アンケート調査時点における郡家地区の世帯数と人数は表1のとおりである。
 アンケート調査の実施に際しては,事前にその配布・回収方法に関する協議を地区関係者と行い,郡家地区における世帯の多くが単世帯ではなく複数世帯であることを踏まえ,幅広い年齢層からの回答を多く得るために,アンケート用紙は個別配布ではなく各世帯に2部ずつ配布することにした。 アンケート用紙の回収率及び世帯回収率を表1に示す。アンケート用紙の回収率は,地区全体で64.3%であり,世帯回収率は78.6%であった。


W.アンケート結果

 安藤祭りは,歴史的農業水利事業を発端とする祭りであることから,農家と非農家によっては,祭りに対する意向などに違いがあるものと考えられる。そこで,各アンケート項目の集計は,農家・非農家別に行うことにした。ここで,アンケート回答者における農家・非農家数を表2に示す。

1.安藤祭りに関する知識とその提供元について

安藤祭りに関する8項目の知識について調査した結果を農家・非農家別に図1に示す。

 農家においては,弁財天神社の祭神に関するAと建立の由来に関するC以外はよく知られており,特に安藤祭りの内容に関する@とD,運営に関するFは80%を超える割合でよく知られていることがわかる。
 非農家においては,農家の場合と同様な傾向を示すものの,その割合は10〜20%程度低いものとなっている。特に弁財天神社に関するA,B,Cの割合は低く,このことからは,安藤祭りの開催理由や背景が不明確なままに,安藤祭りに参加している非農家の現状を知ることができる。 安藤祭りに関する知識の提供元について調査した結果を農家・非農家別に表3に示す。

 農家においては,約70%が父母および祖父母から安藤祭りに関する知識を得ており,次に本・パンフレットの17.2%となっている。一方,非農家においては,農家の場合とほぼ同様な割合を示すものの,父母と祖父母が約36%,その他が26.1%となっており,これらの項目だけは農家の場合と大きく異なる。その他の項目には,石碑や掲示板などがあげられている。
 この知識の提供元に関する農家と非農家の違いは,表2に示した安藤祭りに関する両者間の知識度の違いと結びつけて考察することができる。農家においては,知識の入手が特定の機会に限定されるものではなく,家族内という日々の暮らしの中で行われることから,知識を入手する機会の頻度が多くなり,その結果,安藤祭りに関する多くの知識を得ることができる。一方,非農家においては,本・パンフレット,石碑,掲示板など知識を得る機会が限定され,またその内容も一般的な事項だけに限られることから,多くの安藤祭りに関する知識を知り得ることは難しい。しかしながら,このことを言い換えると,広報物を通してより多くの情報を提供したならば,非農家においても安藤祭りに関する知識を増やすことができることになる。

2.安藤祭りや安藤伊右衛門に対する意見について

 安藤祭りや安藤伊右衛門に対する意見について調査した結果を農家・非農家別に表4に示す。

 農家においては,@,A,Bが90%前後の高い割合で同意されており,安藤祭りおよび安藤伊右衛門が郡家地区における重要な存在して認知されていることを知ることができる。一方で,Cの同意割合は約70%と他の項目に比べると低くなっており,かつ同意しないという回答も約6%あることからは,如何に伝統祭りとして認知されているものであっても,歴史的農業水利事業を発端とする安藤祭りには,発端となった安藤井手の存在が不可欠であり,その存在無くして安易に祭りだけを開催すべきではないという意向の表れではないかと思われる。
 非農家においては,AとBが80%前後同意されているものの,@とCの同意は60%前後であり,伝統祭りとしての安藤祭りの認知度は農家に比べて低いものになっている。この結果は,図1に示した安藤祭りに関する知識度に関連づけて考察することができ,祭りの開催理由や背景が不明確な状態で祭りに参加している非農家と明確な状態で参加している農家の違いではないかと思われる。このように,地域住民が祭りを伝統祭りとして認知するためには,特に非農家に対して祭りの開催理由や背景に関する情報の伝達を十分に行う必要がある。

3.安藤祭りの運営方針に対する意見について  

 安藤祭りの運営方針に対する意見について調査した結果を農家・非農家別に図2に示す。

 安藤祭りの運営方針に関しては,農家と非農家の間に明確な違いが生じている。農家においては,現状維持の@が60%を超えているに対して,非農家においては約45%である。祭りの拡充に関するAとBは,非農家が農家の約2倍となっており,拡充が現状維持の割合と同程度となっている。このことからは,地域の伝統祭りとして祭りを閉じた形で行うのではなく,一般に開き,娯楽的要素を含めることで,参加者自身も客観的に楽しみたいという意向の表れではないかと思われる。
 一方,祭りの廃止に同意する意見も10%前後あり,伝統祭りの開催が地域住民の重荷になっている現状を少なからず知ることができる。

X.まとめ  

 歴史的農業水利事業を発端とする安藤祭りの現状と参加者意識の調査を行った結果,次のことが明らかになった。

  1. 日々の暮らしの中で行われる家族内での知識の伝達は,祭りに関する知識を入手する機会の頻度を多くし,また無理なく多くの知識を伝達させることができる。
  2. 安藤祭りの象徴となる安藤伊右衛門の偉業は,農家,非農家に関わらず十分に認知されているものの,安藤祭りを伝統祭りとして認知している割合は,農家と非農家で異なり,非農家が農家よりも20%程度低い。
  3. 地域住民が祭りを伝統祭りとして認知するためには,祭りの開催理由や背景に関する情報の伝達を十分に行う必要がある。特に,歴史的農業水利事業を発端とする祭りにおいては,非農家に対してこの措置が必要となる。
  4. 歴史的農業水利事業を発端とする祭りを伝統祭りとして継続するためには,その開催理由を明確にするためにも,発端となった歴史的遺物を存続させる必要がある。
  5. 祭りの運営方針に関しては,農家,非農家において意見が分かれ,農家においては現状維持が多く,非農家においては娯楽的要素を含めた拡充および一般への開放が現状維持と同程度ある。

 歴史的事件を発端とする祭りは,地域住民が祭りの発端となった歴史的事件を通して,地域の風土に関心を抱き,地域の歴史を振り返るための機能を有している。しかしながら,現状においては,その機能が十分に発揮されているとは言い難く,地域住民が有している祭りに関する知識に応じて,祭りに対する意向はさまざまであり,農家,非農家においても傾向は異なる。祭りが有する機能が十分に発揮されるためには,祭りの開催理由や背景に関する十分な情報の伝達が不可欠であり,また祭りが有する機能も参加者である地域住民に十分に認知されなければならない。特に歴史的農業水利事業を発端とする農村の祭りにおいては,祭りの継続を図るためにも,今後益々増える傾向にある非農家への対処を十分に行う必要がある。

謝辞:本研究の遂行にあたっては,郡家部落長の松川行男氏をはじめ,元郡家部落長の山崎進氏,郡家地区の住民の方々に多大なるご協力頂きました。また,北里大学獣医畜産学部の服部俊宏助手,日本技術開発株式会社の黒木浩則氏には貴重なご助言を頂き,小柳健太郎氏(当時鳥取大学農学部)には資料の収集並びに整理のご協力を頂きました。ここに記して感謝の意を表します。

引用文献:

  1. 神社新報社:郷土を救った人びと―義人を祀る神社―,神社新報社(1981)
  2. 緒方英彦,服部俊宏,黒木浩則:農業水利事業に関わる義人の功績とそれが地域に与えた影響,農土誌 69(2),pp.7〜12(2001)