Concrete for a Sustainable Agriculture  (私のビジョン)

農業土木学会誌 Vol.70/No.9,pp.72-74(2002)

T.共に結合して成長する

 "concrete"という単語を英和辞典で調べてみると,名詞としてはコンクリート,結合体,凝固物,具体物,具象的概念と記述されている。語源は,ラテン語の"concreus"であり,「con-:共に+crescrete:成長する+-tus:過去分詞語尾(共に結合して成長する)」である。カタカナで表記されるコンクリートとは,誰もが知っている材料としてのコンクリート(正確にはセメントコンクリート)のことであり,砂利・砂などの粒状体(骨材)を水硬性のセメントと水からなる結合材(セメントペースト)と混合して練り,硬化結合させた複合材料のことである。複合材料としてのコンクリートの語源が"共に結合して成長する"とは,なかなか意味深く,コンクリートを用いた研究を行っている著者としては,研究の原点を見つめ直し,将来の研究方針を模索する上で必ず立ち返らなければならない重要な言葉である。また,いろいろな物事を考える上でのキーワードとなっている。

 本稿では,コンクリートの語源である"共に結合して成長する"という言葉をキーワードとして,大学の若手教官である著者が考える研究と教育の取り組み方を述べさせて頂き,その後に著者が研究の総合タイトルとして掲げている"Concrete for a Sustainable Agriculture(持続的農業のためのコンクリート)"について述べさせて頂く。本稿は,「私のビジョン」という区分であることから,内容が著者の勝手なビジョンであることをご理解のうえ,お読み頂けたら幸いである。

U.対象と手法を共に結合して成長させる

 著者が大学の教官となって4年が過ぎた。まだ4年しか経っていないと表現する方が適当なのかもしれないが,この間,いろいろな経験をし,いろいろなことを考えてきた。特に大学の教官というものは,何を生業(なりわい)にしているのか,ということに関しては,経験不足も関係しているかもしれないが,目の前に迫った国立大学の独立行政法人化や農業土木の分野でも頻繁に取り上げられている日本技術者教育認定制度を踏まえ未だに明確な答えを出し切れていない状況にある。一般的には,研究・教育・管理運営の三者一体が大学の教官の業務であろうが,著者としては生業と呼べる段階まで消化しきれていない。自らが生業と断言できるものを確立しようと日々考え取り組んでも,自らの存在や所属している組織をも飲み込むような時々刻々と速度や勢いを変えるビックウェーブの存在が少なからず影響を及ぼしている結果である。ビックウェーブを乗りこなす術を修得する前に飲み込まれてしまいそうである。しかしながら,ビックウェーブを如何に乗り切るのかを模索しない限り,飲み込まれるのは必至であることも事実である。ビッグウェーブの発生源や発生理由,そして進路等の詳細を知る立場にない著者としては,自らが生きていく信念を確立することが,ビックウェーブを乗り切ることにつながり,最終的には生業と言えるものの確立につながると考えている。

 大学の教官は,学者,研究者,教育者,技術者のどれであろうか。どれでもなく,全てを包括した名称であるのかもしれない。しかしながら,どのような立場を主に置こうとも,大学の教官である以上,研究と教育は,他の業務が如何に忙しくても除外してはならないものであり,日々取り組む必要があるものである。ここでは,これまでに著者が僅かな経験を踏まえて考えてきた内容を整理しながら,著者が考える研究と教育の取り組み方について述べさせて頂く。

1.研究における対象と手法

 研究を実施する前提として明確にしておかなければならないのは,その研究における対象と手法である。このどちらかでも不明確であると,その研究自体が軟弱地盤の上に存在するような不安定なものになり,最終的には研究の終着点が見えなくなり迷走しだす。自らが取り組む研究の位置づけを行うためにも,対象と手法は明確にしておく必要がある。
 しかしながら,対象を明確にせず,手法だけの研究というものは存在する。例えば,著者の研究を踏まえると,コンクリートの温度解析や温度応力解析の基本となる数値解析手法は,入力パラメータ等を変えることで,コンクリートだけに限らず木材や岩石等にも適用することができる。このような手法の研究では,対象を明確にしておかなくても研究自体は成立する。しかし,次の段階として,研究した手法を利用する先,つまりは対象を見つけることができなければ,研究した手法は日の目を見ることはない。もし,複数の対象を見つけることができたならば,研究の発展性は確約されたものになることであろう。
 一方,手法を明確にせず,対象だけの研究というものは存在するのであろうか。全ての研究分野に関する知識を持ち合わせていないことから,安易に断定するのは不適当であるかもしれないが,一般的には成立しないのではないだろうか。例えば,これもまた著者の研究を踏まえると,研究の対象としてRCボックスカルバートという構造物を設定した場合,RCボックスカルバートの耐久性や機能性等全ての性能を満足したものを造るためには,材料,設計,施工,維持管理のそれぞれの分野で確立してある手法を総合的に用いる必要がある。RCボックスカルバートの設計に関する研究や施工に関する研究という,対象に手法を組み合わせた研究は存在しても,RCボックスカルバートという対象だけの研究では漠然としすぎており,「RCボックスカルバートの何を研究しているのか?」と問われるのは必至である。対象に関わる手法を全て自分のものにし,総合的な視点で対象を見ることができるならば,「自分はRCボックスカルバートという対象を研究している。」と言うことはできる。ただし,この言葉を発するためには,その前提として,全ての個別の手法に関する研究と熟知が必須となる。
 研究においては,対象を見定めて手法を決める,もしくは,手法を見定めて対象を決める,のどちらでもよいが,少なくとも対象と手法が共に結合したものでなければ,有意義な研究成果を出すことができないと思う。また,対象と手法のそれぞれを成長させることもできないのではないだろうか。

2.教育における対象と手法

 著者が大学に入学したのは,平成の声を聞く前の昭和63年のことである。入学した宮崎大学農学部農業工学科は,学部改組に伴い翌年から農林生産学科生産環境工学講座と名称変更がなされた。このことから,宮崎大学では,著者らが農業工学という名を冠する集合体としては最後の学年になったのである。現在所属している鳥取大学農学部においても,昭和62年に農業工学科が農林総合科学科生産環境工学講座4分野と生存環境科学講座2分野に分割され,そして平成11年からは再度の学部改組により分割された6分野が集まり生物資源環境学科生存環境学講座と集合体の名称が移り変わった。同様に全国のほとんどの大学においても農業工学や農業土木学という名を学科名や講座名から無くしている。
 平成11年4月号の農業土木学会誌67(4)では,「学の系譜と変遷」という小特集が組まれ,その中で全国的になされた学部改組等の大学における組織改革のことが紹介されていることから,ここで著者が浅はかな経験と知識を持ち出すことはしない。ここでは,目の前に迫った国立大学の独立行政法人化や農業土木の分野でも頻繁に取り上げられている日本技術者教育認定制度を踏まえ,大学における教育,そして学科や講座の名称,講義科目名の変更は,如何になされるべきであるかを述べさせて頂く。
 カリキュラムの設定においては,必須科目と選択科目の関係,基礎科目と応用科目の関係が常々問題になる。これまでは,学科なり講座の教育目標や教官事情等を踏まえてカリキュラムが設定されてきたが,今後は日本技術者教育認定制度を踏まえたカリキュラムの改訂が主になると思われる。カリキュラムの設定にも結びつくことであるが,研究者や技術者の育成を目指す上で不可欠な教育とは,基礎となる手法と応用先である対象のバランスのとれた教育ではないだろうか。
 平成12年5月号の農業土木学会誌68(5)においては,農業土木技術力維持向上対策検討調査委員会が国,県,公団,団体,コンサルタンツ,建設会社に対して行った大学における必須科目と選択科目のあり方のアンケート結果が記載されている。これを見る限りでは,必須科目の多くが基礎となる手法の科目,選択科目の多くが応用先である対象の科目となっているような気がする。基礎となる手法の教育は大学で行い,応用先となる対象の教育は就職先の状況に応じて職場で行うべきだという意見なのだろうか。しかしながら,対象が見えず手法だけを教えられる学生は,どのように感じるであろうか。少なくとも選択科目は,学生の判断のもとに種々選択する科目であることから,教官が適切な受講指導をしない限り,虫食い的受講になり一貫性の無い教育になってしまう。対象が見えることで,手法の使い先や使い方が分かるのであり,手法を学ぶ理由を示すためには,あわせて対象に関する教育が必要である。対象と手法の教育がバランスのとれたものであり,かつ共に結合したものでなければ,自己解決能力を有する研究者や技術者の育成はできないのではないかと思う。
 一方,学科や講座の名称とそれらの教育目標,あるいは講義科目を直接的に結び付けることが難しくなってきているという現状がある。集合体の名称は,時代を反映したものとなり変化したが,講義科目名は旧来のものでなければ内容を計り知れないものもあり,時代に即した科目名への完全移行は難しい。講義科目名を学科や講座の名称にあわせて変えているものも少なからずあるが,その名称から講義内容を容易に推測できるかというと疑問である。時代に即した学科や講座の名称変更,講義科目名の変更は,学生だけでなく教官をも混乱させているだけのような気がする。少なくとも,講義内容が容易に分かる科目名,学科や講座の教育目標と内容が容易に分かる学科名であり講座名であることを踏まえて,名称は変更されなければならない。誰もが理解しやすい学科や講座の名称,講義科目名は,そこで取り扱われている対象や手法の具体的な名詞で表現されたものが,本来あるべき姿ではないかと著者は考える。

V.生業と言えるものの確立を目指して

 本稿のはじめで述べさせて頂いたように,著者が掲げている研究の総合タイトルは,"Concrete for a Sustainable Agriculture(持続的農業のためのコンクリート)"である。この"Concrete for a Sustainable Agriculture"には,2つの意味がある。一つ目は,コンクリートという複合材料に関する研究,コンクリートを用いて造られる農業関連施設・構造物,特に農業水利構造物に生じる諸問題の解決に関する研究を通して,持続的農業に貢献することである。二つ目は,持続的農業を行う上で必要となる因子を分野を越えて有効的に結合させ,それを成長させる研究を通して,持続的農業に貢献することである。後者は,かなり抽象的な表現になっているが,その一部は著者の研究の取り組み状況から内容を推察して頂きたい。
 両者の研究とも,進捗状況は不明である。その理由は,終着点である持続的農業のあり方が未だ著者の中で明確にされていないからである。しばらくは,持続的農業のあり方を明確にするための努力と苦悩が続くであろう。もしかしたら,明確にできないままに研究者人生を終わるのかもしれない。 研究の総合タイトルを考え明確にする上で,これまでに指導を受けた先生方や共同研究者の研究に対する取り組み方が大きく参考になった。一方で,疑問詞評価という考え方を知り得たことも大きい。疑問詞評価という考え方が一般的なものであるのかどうかは分からないし,どこで知り得たのかも今となっては思い出すことができない。もしかしたら,著者が勝手に名前を付けた考え方なのかもしれない。
 疑問詞評価とは,Why,Where,Who,When,What,Howの5W1Hを用いて物事を考え評価する方法である。例えば,環境問題という事項を疑問詞評価で考えてみると次のようになる。
 Why:なぜ環境問題を考えなければならないのか?
 Where:どこの環境問題を考えるのか?
 Who:だれのための環境問題を考えなければならないのか?
 When:いつの時代における環境問題を考えなければならないのか?
 What:何をすればよいのか?
 How:どのようにすればよいのか?
 疑問詞評価では,論点を明確にできるだけでなく,考え方をフローチャートのように整理することができる。有用な方法であるので,お試し頂きたい。
 疑問詞評価における5W1Hは,Why,Where,Who,Whenの4者とWhat,Howの2者に大別することができる。前者は対象を明確にするためのものであり,後者は前者で明確にされた対象の具体的な取り組み方,つまりは手法を明確にするためのものである。如何に対象が明確になったとしても,手法が明確でなければ,疑問詞評価は完了しない。より現実的な手法を明確にできるかどうかは,各自が有する専門知識を踏まえての研究者の腕の見せ所になる。
 著者は,この疑問詞評価を用いてさまざまな事項を考え続けた結果,"Concrete for a Sustainable Agriculture"に行き着いたのである。いずれにせよしばらくは,持続的農業のあり方を明確にするためにさまざまな疑問詞評価を続け,最終的には,concreteの語源である"共に結合して成長する"を常に念頭に置き,自らの生業を"Concrete for a Sustainable Agriculture"という研究の総合タイトルの下に確立したいと考えている。
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研究業績